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2014/04/11

小松の歴史を探る「小松市埋蔵文化財センター」「仏御前」「浅井畷古戦場」「コマツ発祥の地遊泉寺銅山跡」

今日は久しぶりに地元小松市の歴史に関して弥生時代からたどっていきたい。

まずは大昔の小松はどうだったのか?JR小松駅東側土地区画整理事業に伴う発掘調査などから、この一帯で平成5年に八日市地方遺跡(ようかいちじかたいせき)というのが発見された。

北陸地方を代表する弥生時代中期の大規模な集落遺跡で、発掘調査での出土した品の内1.020点が、平成22年に国の重要文化財に指定されている。

出土品は木器・土器・石器など非常に多彩で、特に木器は大量に出土しており、多様な農耕具、魚形や鳥形など祭祀に用いられたものが見つかった。石器では碧玉を素材とした管玉製作の過程がわかるもの。土器では、絵画や記号を記したものが豊富に見つかったようだ。

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それらを展示するために、小松市は「小松市埋蔵文化財センター」を原町に作り展示している。

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展示を見るには100円だが展示観覧料が必要。

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中はご覧のように、比較的小さな展示室に所狭しと発掘されたものが展示されている。

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昔もいまも小松駅付近が中心だったのかな?と思うと感慨もひとしおである。

小松市埋蔵文化財センター
小松市原町ト77-8
TEL 0761-47-5713
9:00~17:00(入館は16:30まで)
水曜休(祝日の場合は翌日)、年末年始 
入館料 無料
ただし展示観覧料は100円、高校生以下無料

お次は時代を平安時代末期まで下る。

前述の小松市埋蔵文化財センターがある原町に生まれた歴史上の美女が仏御前である。

彼女は永暦元年(1160年)にこの地に生まれ、名を千歳(ちとせ)という。

絶世の美少女で歌と舞にも秀でていて、14才の時に京に上り白拍子(しらびょうし)となり、のちに平清盛の寵愛を集めたが、17才の秋に出家。21才で短い生涯をとじている。

Wikipediaによると白拍子と仏御前についてはこのように書かれている。

(引用)
平安時代末期から鎌倉時代にかけて起こった歌舞の一種。及びそれを演ずる芸人。

仏御前を例にとると、14歳のとき上京し、叔父の白河兵内のもとで白拍子となり、その後京都で名を挙げ、当時の権力者であった平清盛の屋敷に詰め寄る。その当時は白拍子の妓王が清盛の寵愛を集めていたので追い払われるが妓王の誘いにより、清盛の前で即興で今様を詠み、それを自分で歌いながら舞を見せ一気に寵愛を集めた。このとき詠んだ今様は、以下のようなものである。

君を始めて見るをりは  千代も経ぬべし姫小松  御前の池なる亀岡に 鶴こそ群れ居て遊ぶめれ
(引用終わり)

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亡くなる前に故郷、小松の原町へ帰る時に京都祇王寺残してきた像が、いまは原村の一般の民家に残っている。現在まで美しい姿で伝えられているようである。

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こちらの写真は、後世に作られた仏御前の墓である。

仏御前の生家
石川県小松市原町ト24

さて、時代は安土桃山時代に移る。浅井畷の戦い。

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慶長5年9月15日(西暦1600年10月21日)におこった関が原の戦いの少し前、8月9日に小松城の東方、浅井畷で行われた戦いがある。

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当時の小松城主丹羽長重が、行軍する前田利長に夜襲をかけた戦である。

この戦で討死した前田方の長家九士の墓が、この地に建てられている。墓は倒れた方向に建てられていて、点在しているのが特徴である。

浅井畷古戦場
石川県小松市大領町つ137・138

最後は、いまや世界的建設機械メーカーとなったコマツの発祥の地である遊泉寺銅山跡について。

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小松市鵜川町の山中に、1772年に開坑した銅山「遊泉寺銅山」の本格的経営に明治35年(1902年)に乗り出したのは、高知県出身で吉田茂元首相の実兄竹内明太郎氏だった。最盛期には従業員1600人を数え、この地に病院、郵便局、小学校などが軒を並べた鉱山町を作り上げた。

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その後大正9年(1920年)に閉山となたが、竹内明太郎氏は大正10年(1921年)に小松製作所を立ち上げたのである。

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いまは記念碑や明太郎の銅像が立ち、近くにはバイオ式のトイレなどもあったが、行ったときは使用禁止となっていた??

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また遊歩道が設けられ、今も真吹炉や煙突などの当時の遺構を見ることが出来る。

遊泉寺銅山跡
小松市鵜川町地内

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