« 山中温泉の手打ちそば、うどんのお店「まちや」のおろし蕎麦は旨いが辛かった | トップページ | 金沢の代表的な冬の味覚「かぶら寿し」に、小松西尾の「さけかぶら」 »

2005/11/28

「天下の書府」金沢が生んだ明治の三文豪

金沢は明治時代、偉大な三人の文豪を生んでいる。泉鏡花、室生犀星、徳田秋声である。

江戸時代、「天下の書府」と呼ばれた金沢は、多くの文学者、芸術家を輩出している。今日は、明治の一時期、同じ時代を生きていた金沢の3人の文豪にスポットを当ててみたいと思う。ただ、私自身、この3人の文豪の書いた書物は、学生時代に泉鏡花の高野聖(こうやひじり)を読んで、途中で挫折した思い出しかないので、あくまでインターネットや記念碑に書いてあった内容を紹介しうるだけであることを、あらかじめ断っておきたい。

izumikyouka1泉鏡花(写真は泉鏡花記念館

泉鏡花は1873年生まれ 高野聖(こうやひじり) 婦系図(おんなけいず) 照葉狂言(てりはきょうげん)など。「別れろ、切れろは、芸者の時に言う言葉」という有名なセリフは知っている人も多いだろう?

泉鏡花の作品は、「義血侠血」「照葉狂言」など、この地を舞台とした作品が多く、金沢との関係も3文豪の中でも一番関わりがあると思う。その中で、「義血侠血」は「滝の白糸」という題で、新派の当り狂言となり、クライマックスは、兼六園の「ことじ燈篭」の書割が背景になっている。
昭和14年発表作「縷紅新草」が小説として最後の作。
これらの業績をたたえ、生誕百年の昭和48年に金沢市は泉鏡花文学賞を制定して、その年に発表された文芸作品(小説、戯曲等、単行本に限る)で、泉鏡花の文学の世界に通ずるロマンの薫り高い作品を対象として表彰を行っている。

室生犀星

室生犀星は1889年生まれ 犀星の名は、当時金沢で活動をしていた漢詩人の国府犀東に対抗したもので、また、犀川の西に生まれ育ったことからつけられた名前である。
最初は、詩人として「愛の詩集」「抒情小曲集」等で近代抒情詩として成功し、やがて小説を書き始め、「幼年時代」(大正8年)を処女作とし、「性に目覚める頃」(大正8年)などにより、小説家としての確固たる地位も築いた。長編「杏っ子」(昭和32年)で昭和33年度読売文学賞を受賞するなど秀作を次々と生み出し、昭和37年癌により、72歳の生涯を閉じた。

tokudasyuusei 徳田秋声(写真は徳田秋声記念館

徳田秋声は1972年生まれ 秋声の名は、宋の欧陽修「秋声賦」の季題「秋の声・秋声」によるものとされている。泉鏡花と同じく、尾崎紅葉に師事し、泉鏡花、小栗風葉、柳川春葉らとともに「葉門の四天王」と呼ばれていた。主な作品としては、私小説の画期的傑作とされている「足跡」(明治43年)「黴」(明治44年)などにより、文壇的地位を確立した。
また、彼の全作品の集大成であり、帰結でもあった「縮図」(昭和16年)は未完とはいえ、日本近代小説の一角を代表する傑作として評価されている。

この記事が気に入ってくださったら下記をクリックお願いします。
人気blogランキングへ

にほんブログ村 グルメブログへ

|

« 山中温泉の手打ちそば、うどんのお店「まちや」のおろし蕎麦は旨いが辛かった | トップページ | 金沢の代表的な冬の味覚「かぶら寿し」に、小松西尾の「さけかぶら」 »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

「外科室」は短編なので、鏡花のなかでも読めると思いますよ。映画の吉永さゆりも美しいですし。「天守物語」「夜叉が池」も面白いので好きです。
以前、泉鏡花記念館で働いてました。

投稿: kapako | 2005/11/29 15:04

kapakoさん
こんばんは。
へぇ~、泉鏡花記念館で働いていたんですか!?
それは素晴らしい!
今度、鏡花文学の真髄を聞かせてください。

投稿: あさぴー | 2005/11/29 20:11

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/70453/5675631

この記事へのトラックバック一覧です: 「天下の書府」金沢が生んだ明治の三文豪:

« 山中温泉の手打ちそば、うどんのお店「まちや」のおろし蕎麦は旨いが辛かった | トップページ | 金沢の代表的な冬の味覚「かぶら寿し」に、小松西尾の「さけかぶら」 »